ほんとは誰も何も信じてない

「信じること=良いこと」「信じない=悪いこと」みたいに言われこともあるけれど、私の思考は「信じないこと」をベースにしてる。したいと思ってる。

「本当に何かを信じることはないよ。あなたの事も。」

って言うと、あんまり知らない人からは「こいつやばいやつ」って思われるかもだし、仲良い人からは「え?(´・ω・`)」みたいな反応されがち。
(その後ちゃんとその仲良い人には説明しますけど)

実際そうなんだけどちょっとたぶん想像しているのとは違う話かも。いやでもどこかで聞いたことあるような話かも。

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「信じる、信じない」って「0か1か」みたいに捉えている人もいるけれど、私はそれは割合だと思ってて。完全にどっちというのは無いと思ってる。思うようにしてる。

信じるにしても、信じないにしても100%そう思った瞬間に思考停止、思い込み、勘違いといった事の原因になると思っているから。

「信じる、信じない」は結局相手は関係なくて自分の主観で選択をしているわけで。

自分の主観なんて短い人生のちっぽけな積み重ねの経験値から見ることしかできないので、そもそもそんな自分の主観自体が一番「信じられない」。

なので「信じる」をベースに見てると視野が狭くなると思っているので「信じない」をベースにしてる。

だから何も信じてない。

でもまぁ「この人は99%信じられる。」って人もいて、それでも1%は信じないを残してる。100%信じちゃうことはない(ようにありたい)

「この人はちょっと信じられない。(99%)」は当然あって、でもやっぱり「もしかしたら1%は本当かもしれない。」とかそういう認識をしてる。

むしろ「60%くらい信じられるけど40%くらい信用ならない」みたいな事の方が多いのでどっちを選択するのかは自己責任による賭けみたいなものだと思ってる。

でも出来れば賭けには勝ちたいので情報を集めたり色んな角度から検討したりうーんうーんと頭を悩ませて賭けてるだけかなーと。

100%に振っちゃうと、そうじゃなかった時に「信じてたのに!」みたいになるかもしれないしね。キケンキケン。

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なーんて書いてますけど、人のことは好きなのでわりと簡単に信じる方に賭けちゃって痛い目も何度も味わってるんですけどね笑

ちょろい私。

それでも、少なくとも私の周りにはどちらかと言えば「良い人達が多い」と思っているし、世の中そうだと信じてる(賭けてる?)ので、結局わたしが一番思い込み激しいのかもしれないね。

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この話をとある友人としていた時に

「『世の中の良いとされるもの(=信じる)が実はまがい物で、忌避される行為(=信じない)が実は大事なものだった。』ってなんか厨ニ設定ぽいね。」

という反応をいただけたのが一番おもしろかったです。

おわり。

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おまけ:

以前また別の友人と話している中で「私の何を知ってるの?」といった風な言葉をいただいたんですが(といってもネガティブな状況だったのではないけど)。

これは確かにそうで、相手のことを「分かった」や「知ってる」なんておいそれと言えることじゃないよね、人のことを真にわかるなんてありえないもんねと「そうだよね、うんうん」と、とても印象に残る出来事があったなぁと思い出した。

とても印象に残っている。
こんなセリフなかなか言われないので一生忘れられそうにないです(都度笑い話で出るw)。