「人を見るとき3つのレイヤーに分けて見てる気がするという話」を読んだ友人との会話で得たものメモ

先日書いた

» 人を見るとき3つのレイヤーに分けて見てる気がするという話

を読んだ友人から幾つかレスを貰って「なるほどねぇ」とか「あー、そうか」と思ったので書き残しておく。

レスその1:
土台やフーレム強度が弱くて積み重ならない場合がある

このコメントをしていた友人は各ブロック(箱?)のフレーム強度が弱く積み上げられない場合があるかもしれない、という話をしていた。(と理解している)

最初聞いた時そもそもこれが乗っている一番下の土地の部分のことかと思ったけど良く聞いてみるとフーレムの話だった。

いずれにしても強度が足りないので積み上がらない。
これは自分の価値観に自信がない場合って状況になるのかな?

私は「好き/嫌い」「心地よい/痛い」などは自分がそう感じるのなら自分にとっては疑いようもなく間違いない話なので、他人にどう言われようと事実としてそれはもう変えようがない。そういうものだと思ってる。

そのうえで社会で行きていくために何かそういう感情を表に出す出さないはコントロールすることはあるかもしれない。
でも、その根底にある「自分がそう思うのである」は変わらないかな。

なので「フレーム強度が足りない」が「自分の感情や思考に自信がない」という意味なのだとしたら、

自分は何が好き。
自分は何が嫌い。
自分はこういう人間である。

そういう軸がまだぼんやりしているってことなのかな?わかんないけど。

話し逸れるけど、いつの頃からか自分の感情がどこから生じているのか、何が理由でそう感じているのかを自問自答するくせがついていて。

誰かや何かを好ましく思うときも、もやもやしたり嫌だなぁと感じるときも、何からその感情が生まれているのか考えてる。

理由がわかれば感情はコントロールしやすくなるので。

好きの理由がわかれば好きなものを選びやすくなるし、誰かに伝えやすくもなる。
イヤの理由もわかればそういった物事や人を避けやすくなる。

レスその2:
ここにある3段目のレイヤーに類するものが2段目のレイヤーにある場合もある

この画像のモデルはあくまでわたしの価値観なので「2段目は人柄や性格、言動の癖」であり「3段目は各種技能」というものが含まれると考えている。

だけど世の中には2段目のレイヤーに「何かある分野の技能だとかが含まれる場合もある」という事に気づいた。

例えば
「ピアノが弾けないやつはうちの子じゃない」
「医学部に入れないと家にいづらい」
「ゲームが下手なやつに人権はない」
とかそういうの?かな。たぶん。

言われてみればドラマとかで見かけそうな話。でも自分がそういう見かたをしてなかったのですっかり忘れていた。

気づいてしまえばあるあるな話だった。