わりと気軽に人のためにとか人が喜ぶ何かをしようって思考になりがちなんだけど。
無理しているわけではなくて、そうすることが自分の楽しさ、喜びみたいな部分があってやってる。
出来るかどうかはちゃんと判断して、難しければ出来る範囲の条件提示かお断りはしてますよ。
じゃぁなんで「わりと気軽に人のために、人が喜ぶことを何かしようって思考になりがち」という傾向にあるのかなぁと考えてた。
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何番煎じって感じの表現だけど、人と人が関わるってそこに化学反応が生まれると思ってる。
他者と関わることで得られた経験って自分を何かしらの形で広げてくれると思ってるから。
私自身、沢山のひとのあれやこれやを見たり聞いたり読んだり、そこから喜怒哀楽を感じたり、そういうものから色んなものを摂取して自分が広がっているのを感じるから。
だから自分も人に頼られた時には、自分の持ってるいろんなことで手助けして、そこを通じてほんの少しでも何かしらを相手が得られたらいいよね、その人の世界や視点が少しでも広がる手助けができたらいいね、とか。
そんな風に考えている気がします。
そうなってくれたら良いなと思える相手に時間をさくことは、私にとっても嬉しいことなのです。
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でも残念ながら世の中には(本人が意図しているか、意図せずそういう接し方しているかは知らないが)「この人に搾取されてる」と感じさせる人もいて、そういう人にまで貴重な時間をさいて何かしたいとは思わないですからご安心を。
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んでまぁ、私がこうして駄文を書き散らかしているのも、それを読んだ誰かが、それがその人に合うか反面教師にするかはともかく、何かしらの足しになったならそれはそれで良いかなって思いながら書いてる。